夏になると一回500cc水飲みます。
ごきげんよう遡螺です。
ごきげんよう遡螺です。
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善悪だとかいう判断が、ひどく曖昧模糊として捉えきれない。
確かに法律や形式知、または暗黙知としてこの世には存在している。
これは変わらず確かなことですし、それは頭脳が咀嚼しているので特別問題は無し。
勿論、法を破ることを是認するわけでもありません。それに、割り切れるほどに法なんて知りませんから。
例えば。
ドライバーから見れば横断歩道の信号無視は危険極まりないことです。
歩行者としてはたった数歩程度の距離であれば、渡っても構わないと思うかもしれません。
どっちも正解でいいと思うのです。その主張がある限り、感情面では。
あくまで感情という、たったそれだけの人間の側面だけです。
しかし身勝手な行動が抑制されるのは、言わずもがな。
ひとたび事故が起きれば、世間一般的には如何なる理由があろうとも、処罰対象はそのドライバーに向けられることが多いわけです。
理不尽だと思います。物凄く理不尽です。
身勝手にルールを無視してフラついて、挙句轢かれ。そして処罰は車へと。
自分もよく道路を横断しますが、「轢かれても文句は言わない」つもりでやってます。でもそんなの法の前にしたら無意味なんでしょうか。
例えば戦争。
自分たちの世代はこれを経験したことがありません。それは「平和」という言葉で片付けるべき言葉ではないのですが、しかしやはり平和ではあります。
戦争で自分たちのため、自国のために人を殺める。そこには自尊心だったり、気持ちを喚起させる何かがあるのかもしれません。俺には分からないけれど。
そして殺めることに・・・なりゆきであっても強制であっても・・・その結果があるならば、同時に加害と被害が生まれることになります。
主張は異なるでしょう。それでいいと思います。その差異こそ、本質です。
経験しないと分からない世界ってきっとあるはずです。
「人を殺したいほど憎む」なんていう状況にはなったことがありません。
愛情の反対は無関心。そういうことです。
人を嫌いにならない性格です、と言い切ってしまうのはいささか語弊がありますが、しかし確かなことです。正鵠を射るならば「ならない」ではなく「なれない」というシステムを構築することに努めたつもりだから。なっていないのもやはり中途半端な自分の結末なのだろうけど。
なぜなら。嫌だから。
そこに至る前に。
そこにたどり着く前に。
そこに到達しないように、そこから目を逸らすから。
逃げる。
だから、お互いのパーソナルから離れることになり、特別何も揉めることはなくなります。
それでも近寄ってくる相手はそうそういません。
嫌いになることは悪いことですか。
好きになることは良いことですか。
二元論だけでどうにかなる話じゃないですよ。
例えば。
自分は相手を嫌いだけど、相手は自分のことを嫌っていない。そんなこともありますね。
ひどくもどかしいけれど。
悪いところはよく見えるものです。だから本当は良いところも見えているのに、フィルターがかかって見えづらいのだと思います。
きっとそこが見えたら、自分も相手を好きになれると思うのです。確率は・・・きっと低いけれど。
でも、ただ単にそうなることを良しとは思わないし、なったところで最初感じていた気持ちがあった事実は無くなりはしない。
ゲームをやっていて、携帯電話のアドレスを交換するという事が過去に何度かありました。
交換したところで一部の人を除いて滅多にメールを送らなかったのですが、別に嫌いというわけではありません。
これは捉え方の問題です。
MMOなら画面越しに人間が操作していると理解していても、顔は見えないし声は聞こえない。だから軽薄になる「向き合うための人間」としてのイメージ。
だからといって相手が機械ではないのだろうし、生きているのだろうし。同じように窓の外には雨が降っていたり、月が輝いていたりするのでしょうね。
それでも軽薄なのはきっと文字でしか相手に伝えられないからだと思うのです。エモーションアイコン(エモティコン)は確かにその中でも動作を得た手段の一つですし、これは文とは異なる伝達が出来るシステムです。でもこれは下手すると文字より厄介。誤解も多いのは、これが広範囲の意味を保有していて、受け取る側もニュアンス等の意味で広範囲な解釈をすることが可能、と言えば可能です。
ひどく、曖昧だ。
さて、その交換した人とメールするというのは、仮想と現実が入り混じった状態であって、ひどく落ち着かない。きっと言葉で言えばこうなるのでしょうが、実際のところ文字を打つのも面倒なのかもしれません。
だからメールよりも電話のほうを好みますし、大体電話する人とはメールも普通に出来ます。
さて、もう何を言っているのか自分でも分からなくなってきたような気がしますが。
柔軟というわけではないのでしょう。
所属なのか、アイデンティティなのか、バックグラウンドなのかルーツなのか。
外国に旅行に行けば、習慣の違いに気付きます。それ以前に、友達とご飯を一緒に食べるだけでも違いが出てきます。
「当然」としてやってきたことが、実は周囲からすれば異端になるように。
しかしそれは嘆くようなこととは限らず。
例えば箸の持ち方みたいに、目に見えるものだけじゃないんですよね。思考や思想・・・無形だってある。
いくらそれを言葉として文字にしたところで、イメージを他人が完璧にトレース出来るとは限らない。
伝わらないことだって、ある。
トレースされても困るけど。
最後に、前半とは関係ないですが、後半ちょっとだけ絡みがあったのでROの話。
INしなくなってからふと・・・一つ、目標が出来ました。
いえ、出来ていました。
たった今イメージが言葉になりました。
PTを導いて、耐えられる前衛ではないけれど。
PTを守って、安心して攻撃させてあげられる支援ではないけれど。
PTの中心で、戦況を変えられる役職ではないけれど。
AXになって、強くなって、そうしていつか誰かの役に立てますように。
それまでは一人でも頑張って追いかけよう。
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善悪だとかいう判断が、ひどく曖昧模糊として捉えきれない。
確かに法律や形式知、または暗黙知としてこの世には存在している。
これは変わらず確かなことですし、それは頭脳が咀嚼しているので特別問題は無し。
勿論、法を破ることを是認するわけでもありません。それに、割り切れるほどに法なんて知りませんから。
例えば。
ドライバーから見れば横断歩道の信号無視は危険極まりないことです。
歩行者としてはたった数歩程度の距離であれば、渡っても構わないと思うかもしれません。
どっちも正解でいいと思うのです。その主張がある限り、感情面では。
あくまで感情という、たったそれだけの人間の側面だけです。
しかし身勝手な行動が抑制されるのは、言わずもがな。
ひとたび事故が起きれば、世間一般的には如何なる理由があろうとも、処罰対象はそのドライバーに向けられることが多いわけです。
理不尽だと思います。物凄く理不尽です。
身勝手にルールを無視してフラついて、挙句轢かれ。そして処罰は車へと。
自分もよく道路を横断しますが、「轢かれても文句は言わない」つもりでやってます。でもそんなの法の前にしたら無意味なんでしょうか。
例えば戦争。
自分たちの世代はこれを経験したことがありません。それは「平和」という言葉で片付けるべき言葉ではないのですが、しかしやはり平和ではあります。
戦争で自分たちのため、自国のために人を殺める。そこには自尊心だったり、気持ちを喚起させる何かがあるのかもしれません。俺には分からないけれど。
そして殺めることに・・・なりゆきであっても強制であっても・・・その結果があるならば、同時に加害と被害が生まれることになります。
主張は異なるでしょう。それでいいと思います。その差異こそ、本質です。
経験しないと分からない世界ってきっとあるはずです。
「人を殺したいほど憎む」なんていう状況にはなったことがありません。
愛情の反対は無関心。そういうことです。
人を嫌いにならない性格です、と言い切ってしまうのはいささか語弊がありますが、しかし確かなことです。正鵠を射るならば「ならない」ではなく「なれない」というシステムを構築することに努めたつもりだから。なっていないのもやはり中途半端な自分の結末なのだろうけど。
なぜなら。嫌だから。
そこに至る前に。
そこにたどり着く前に。
そこに到達しないように、そこから目を逸らすから。
逃げる。
だから、お互いのパーソナルから離れることになり、特別何も揉めることはなくなります。
それでも近寄ってくる相手はそうそういません。
嫌いになることは悪いことですか。
好きになることは良いことですか。
二元論だけでどうにかなる話じゃないですよ。
例えば。
自分は相手を嫌いだけど、相手は自分のことを嫌っていない。そんなこともありますね。
ひどくもどかしいけれど。
悪いところはよく見えるものです。だから本当は良いところも見えているのに、フィルターがかかって見えづらいのだと思います。
きっとそこが見えたら、自分も相手を好きになれると思うのです。確率は・・・きっと低いけれど。
でも、ただ単にそうなることを良しとは思わないし、なったところで最初感じていた気持ちがあった事実は無くなりはしない。
ゲームをやっていて、携帯電話のアドレスを交換するという事が過去に何度かありました。
交換したところで一部の人を除いて滅多にメールを送らなかったのですが、別に嫌いというわけではありません。
これは捉え方の問題です。
MMOなら画面越しに人間が操作していると理解していても、顔は見えないし声は聞こえない。だから軽薄になる「向き合うための人間」としてのイメージ。
だからといって相手が機械ではないのだろうし、生きているのだろうし。同じように窓の外には雨が降っていたり、月が輝いていたりするのでしょうね。
それでも軽薄なのはきっと文字でしか相手に伝えられないからだと思うのです。エモーションアイコン(エモティコン)は確かにその中でも動作を得た手段の一つですし、これは文とは異なる伝達が出来るシステムです。でもこれは下手すると文字より厄介。誤解も多いのは、これが広範囲の意味を保有していて、受け取る側もニュアンス等の意味で広範囲な解釈をすることが可能、と言えば可能です。
ひどく、曖昧だ。
さて、その交換した人とメールするというのは、仮想と現実が入り混じった状態であって、ひどく落ち着かない。きっと言葉で言えばこうなるのでしょうが、実際のところ文字を打つのも面倒なのかもしれません。
だからメールよりも電話のほうを好みますし、大体電話する人とはメールも普通に出来ます。
さて、もう何を言っているのか自分でも分からなくなってきたような気がしますが。
柔軟というわけではないのでしょう。
所属なのか、アイデンティティなのか、バックグラウンドなのかルーツなのか。
外国に旅行に行けば、習慣の違いに気付きます。それ以前に、友達とご飯を一緒に食べるだけでも違いが出てきます。
「当然」としてやってきたことが、実は周囲からすれば異端になるように。
しかしそれは嘆くようなこととは限らず。
例えば箸の持ち方みたいに、目に見えるものだけじゃないんですよね。思考や思想・・・無形だってある。
いくらそれを言葉として文字にしたところで、イメージを他人が完璧にトレース出来るとは限らない。
伝わらないことだって、ある。
トレースされても困るけど。
最後に、前半とは関係ないですが、後半ちょっとだけ絡みがあったのでROの話。
INしなくなってからふと・・・一つ、目標が出来ました。
いえ、出来ていました。
たった今イメージが言葉になりました。
PTを導いて、耐えられる前衛ではないけれど。
PTを守って、安心して攻撃させてあげられる支援ではないけれど。
PTの中心で、戦況を変えられる役職ではないけれど。
AXになって、強くなって、そうしていつか誰かの役に立てますように。
それまでは一人でも頑張って追いかけよう。
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